ときどき

日々の、ちいさな記録

児童文学について

わたしは昔から本を読んでいたわけではないです

特に、海外の児童文学からは遠い人生を送ってきた

小さい頃本を読んだ記憶といえば、3びきのこぶたを寝る前に読み聞かせてとせがんだことと、暇な時に同じ昔話集を何度も読んでいたことくらいだと思う

 

そんなわたしが、大学に入り文学のゼミに入ってからあれよあれよと児童文学に魅了されていった、おもしろいくらいに。

先生と、物語に出てくる人の話をするのはとても楽しかった。あの子のあれはわたしにはできないとか、あの場面がすごくよかったとか

その時のワクワク、胸の高鳴りは何にも代えられないね

 

 

正直、児童文学を読んで育っていないと大人になってから取り戻すのは難しいと思っていた

実際のところ、はじめは、ちゃんと読んでみてもおもしろいとは思えなかった

もう、子どものときの感覚はないし、色んなことを知ってしまったから

そのことを、私の尊敬する絵本作家さんにお会いしたとき話してみた

悔しいんです、と 読んで育っていたらどうだったかなって思うんです、と

そうすると、その作家さんは、まだ遅くないよ

今の感覚も今しかないんだから

と仰ってくれた。

なんだか、すごく楽になった

あぁ、本を読むことはこんなにも自由なんだ、自由でいいんだって思った

 

子どもが、本を通して色んな子どもや大人に出会うことにはとても大きな価値があると思います

来年からは、クラスの子にできるだけ毎日読み語りをしたいです。これが、私の目標です。

子どもに本を与えるだけではダメ。

「一緒に読む」というのがとても大切。

本の内容を共有して、一緒に想像してほしい。

街の様子、主人公の声、嬉しい気持ち、悔しい気持ち、美味しそうなご飯、よく分かんない地名、なんでもいい

とにかく、大人と子どもが一緒に時間をつくって一緒に読むことです。

あと、いい本かどうかは自分の目で確かめないと分かりません。自分の目で確かめても、最後は読んだ子どもがいい本だったかどうか決めるものだと思う。

だからこそ、先生や大人は引き出しを多く持っていないとね

なんでも拾えるように、落っこちないように

 

私の人生を大きく変えてくれた、ちょっと皮肉だけど

素敵な作家、エーリヒ・ケストナー

これからも、たくさんのことを教えてくれるにちがいない。

わたしもずっと、子どもの頃を忘れないでいたい、そんな大人になりたい。